読書感想文:浅田次郎著「競馬どんぶり」「勝負の極意」


故あってTwitterから離れていた一週間。

原因は、競馬にタコ負けした己の意思の弱さに辟易したのと、やはり、どこかしら勝ちに執着できてない自分に納得がいかず、今一度勝負に対する姿勢を見つめ直していたというのが本音のところ。
なお、いい大人は本音を語ったりしない。
のうのうと生き恥を晒しています。
Twitterする時間を減らして、フォローしている方のRTで新たにフォローさせて頂いた方が紹介されていた浅田次郎さんの著作2冊を読み干した。
「競馬どんぶり」「勝負の極意」の2冊。
浅田次郎さんは名前を存じ上げていたが、私個人の趣味ではフィクションというジャンルの本をほとんど読まない事もあり、書かれた本を読む機会が全く無かった。
ANAの機内誌のコラムを読んだ記憶があるくらい。
で、この2冊、本当に面白かった。
思わず氏の作品を時代順に集めて読みたくなった。それほどまでに、中途半端な博打打ちには響くものがあった。
俺は、ケチって言われた事がないから、バクチ打ちには向かないのかなあ、とも思った。
一昨年麻雀で負けに負けて悔しくて、勝ちたいと思った時程に、競馬についてそう思った事は、やはり無かったんだなあ、と思い知った。
たかだか20年競馬をしているというだけで、そして近年調教による穴馬選びを軸にしだしてからは、なんとなく、競馬について分かったつもりになっていた。
でも違うんだよなあ。
勝ちに対する執着心が全く違う。
手書きの原稿の校正を徹夜でやって、徹夜明けにその足で東京競馬場行くとか、できねえもん。
そこまでいかなくても、控除率のもたらす本当の意味だったり、パドックの重要さとか、全く理解してないと思ったね。
常々調教主体にしている理由は、「練習で速く走れない馬が、本番で速く走れる訳はない」
という理由からなんだけど、ここへきてパドック>調教
と言えてしまうなと納得させられたのは、走る直前に速く走れそうかどうかを見極める機会=パドックというのがわかったから。
でも、間違っちゃいけないのは、機会としてはそうだけど、それを見抜く目があるのかどうかというのは別問題。
馬券を買う側がそれを持ってないのでは機会があっても発揮しようがない。
パドックでの馬の見方についても、シンプルに解説があったので、今度見てみようと思う。
正直、調教競馬にシフトする前も、調教なんて見ても分かんねーからいいや、と思っていたが、分かりやすい解説と見方を知れば、見るべきポイントはあんまりなくて、好調教の穴馬をいくらか見抜けるようになったと自負している。
調教穴馬で穴馬券も取ってきたしね。
だから、パドックも分かんねーと言わずにちよっと、見てみようかと思う。
ちなみに浅田次郎さんは徹夜で予想した内容をパドックであっさり破棄する事があるという。
当然だよね、生身の、これから走る馬を見て、これまで見てきた幾万頭の走る馬走らない馬の頭の中のデータベースと比較してこりゃダメだわっていうのがわかれば、紙の上のデータでの予想なんてあっさり覆るよね。
そして、ここがすごいなあと思わざるを得なかったのは、パドックは一つの要素で、初めに能力比較ありきと言っているところ。
調教もそうなんだけど、近走の能力比較でダメな馬は調教タイムが出ててもダメなんである。
激走するのは、休み明けだとか、初ダート初芝だとか、距離が短縮したとか伸びたとか、そういうこれまで比較されてこなかった条件で走るという要素が必要。
実馬名をあげて申し訳ないが、岩部Jのお手馬ヤマタケジャイアンはいつも好タイムでいつも凡走してる。あの馬も適条件があるかもしれないから、条件替わりしたら注視必要かも。
文章散逸してしまったが、能力比較、勝負気配の比較、展開の読み、仕上がりの読み、という基本路線はキッチリ抑えないと勝てない。
穴馬は、速くないのに激走するのではなくて、本当はそのレースの中で1~3着に入れる力を持っているのにもかかわらず、オッズ上人気がないだけなのである。
出遅れ、不利、不適格な条件、体調、他の出走馬の強さ関係、それらによって着順が悪い馬は次のレースで激走するかもしれない。条件がはまれば。
そんな、色々なことに気づかせてくれた一週間でした。
呟きの回数は減るかもしれないのですが、好調教馬と土日の予想は続けるつもりです。
kindle本は筆が遅くて全然進んでません。