競馬がギャンブルかスポーツか、という議論があるとする。
くだらなくて辟易するが、これを論じて白黒つけたがる人は幼稚だなあといつも思う。
世間的には、2017年の日本においてはまだまだ競馬はギャンブルだという理解が勝っている。
だが、物事はいつも多面的だということが理解出来ないうちは、その人は幼子となんら変わりがないと、私は思う。
どんな花を見ても綺麗だとしか感じないのは、幼子である。
ヒガンバナだったり、夾竹桃の花だったり、時には薔薇であったとしても、花に美しさ以外の面を感じることができるのが大人である。
競馬はギャンブルでありスポーツでありエンターテイメントであり、そして、騎手や調教師、馬産に関わる人にとっては人生そのものなのだ。
それでよかろうと思う。
そんな多面性を持つ競馬が、結果という形で白黒をハッキリとつける様は痛快である。
世の中には白黒判然としないもので溢れかえっている。
そんな中、自分自身の評価を嘲笑うかのように、世の中には白黒ハッキリつけられるものがあるんだぜと、競馬は冷徹な結果を私達に叩きつける。
世の中の曖昧な決着を一刀両断する、競馬。
私はそんな競馬が大好きだ。